こんにちは。
タヒチでは年に一度のお祭り、ヘイバイタヒチがクライマックスを迎えています。
そこで、今日は、ヘイバイタヒチの歴史についてご案内を致します。
1815年にタヒチ王朝を築いたポマレ2世は、タヒチ統一前、島々の首長との戦いに連戦連敗していました。
神々への信仰が深かったその時代、ポマレ2世は、「ポリネシアの神は我々を見限った」とし、当時、イギリス・フランスから来ていた宣教師の説く、キリスト教に改宗します。
そして首長たちを打ち破り、タヒチ最初で最後の王朝を打ち立て、国教をキリスト教としました。
ところが1819年、そのキリスト教のモラルとして、肌を露出して激しく腰を振るタヒチアンダンスは、公序良俗を乱す淫らなものとして、法律によって公共の場で踊ることを禁止されてしまうのです。
これにより、多くのタヒチの伝統芸能も禁止されてしまいました。 |
60年の時が流れ、1880年に時の王、ポマレ5世がタヒチ統冶権をフランスに譲渡、ポマレ王朝は最期をむかえ、正式にタヒチはフランス共和国の一部となりました。
その影響で、翌年1881年7月14日、フランス革命記念日がタヒチで初めて祝われます。
この日、フランスはタヒチの伝統芸能を規制する法律を撤廃。
タヒチの歴史が動く1日になりました。
その年からタヒチでは7月がお祭りの季節となり、さっそく同年にお祭りが始まりました。
最初は歌のコンクールだけで、ダンスコンクールは20世紀に入ってから開催されます。
実に80年もの長い間、タヒチアンダンスは日の目を見ることはありませんでした。 |
今日では、ヘイバイタヒチと言えばダンスコンクールがメインです。
タヒチナンバーワンの名誉をかけて、最大120日ものダンサーが華麗なダンスを繰り広げます。
今年の参加はプロ部門で9チーム、激戦のダンスコンクールを制したのは、前評判の高かったタヒチオラでした。
3年前にも優勝した、実力、人気共に兼ね備えたタヒチを代表するダンスグループです。
タヒチオラのダンスを見た人からは、異口同音に、「震えるほど感動した」との感想が聞かれます。
皆さまも、是非一度この感動を味わいに、タヒチにいらっしゃいませんか? |
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