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皆様、こんにちは。
タヒチの歴史に少〜し触れたいと思います。
今から100年前、第一次世界大戦によって通商破壊作戦中のドイツ帝国海軍のマクシミリアン・フォン・シュペー司令が率いるドイツ東洋艦隊の襲撃により、パペーテが艦砲射撃されてしまいました。
ドイツ軍の主な目的は、島に蓄えられていた石炭の山を手に入れることでしたが、結局フランス軍がほとんど燃やしたため、接収することは出来ませんでした。 |
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当時のカテドラル教会前の写真 |
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1914年9月22日7時、2隻の国籍不明であった巡洋艦がパペーテの港に接近してくることをフランス側が認めてしました。
その後、それがドイツ船であることに気付き、警報を鳴らしたのですが、近くまで接近されてしまいました。
フランスは正体を明らかにせよという合図として、3度警告射撃を行いましたが、ドイツ戦は発砲し、フランスに降伏するように信号を送ってきたそうです。 |
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ラ・ゼル (フランス船) |
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しかし、フランスがそれを拒否したため、ドイツは砲台や町に向かって砲撃を開始してしまいました。
フランスの砲台や砲艦もドイツに反撃をしましたが、命中させることは出来ませんでした。
結局、ドイツ軍が撤収するまでに、町の大部分は破壊され、火災が消化されるまでにパペーテの2区画が燃え尽きてしまいました。
戦闘が始ると住民の大半は内陸部に逃げましたが、日本人1人とタヒチアンの少年が死亡したそうです。 |
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シャルンホルスト (ドイツ船) |
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同日11時頃にドイツ軍が撤収しましたが、罪のない人が犠牲になったことを忘れてはいけません。
9月22日06:30にフランスの陸軍や海軍が追悼式を行いました。 その悲劇から今年で100年。
9月22日〜10月24日まで、この悲劇を忘れないように、パペーテ市内でイベントがあります。
マルシェの前には艦船の模型などが展示されていますので、是非市役所まで足を運んで下さい。 |
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パペーテ市役所 |
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